はじめに

東京2020オリンピック聖火リレーが2021年3月25日、福島県のナショナルトレーニングセンターJヴィレッジからスタートしました。7月には東京オリンピック、8月にはパラリンピックが開催されます。東京でオリンピックが開催されるのは1964年の第18回大会以来57年ぶり2度目となります。

57年前のオリンピックは大きな事件が発生することなく、無事に終えることができました。その後も日本では札幌、長野で冬季オリンピックが開催されたほか、先進国首脳会議や主要国首脳会議をはじめとした国際会議、大阪万博やつくば万博、沖縄海洋博といったような展示会・博覧会などを開催していきました。

1962年、日本で初めて設立され、現在も業界トップ、最大手の企業がセコム株式会社です。セコム株式会社の創業からの歩みや、セコムの創業者である飯田亮氏と戸田壽一氏についてなどを紹介します。

セコムの事業とは?

オフィスビルや店舗の入退室、入退店の管理を行ったり、銀行のATMで現金の護送や補填を行っていたり、あるいは美術館や博物館で展示物に危害を加えられないように守ったりと、多くの人が警備業としてイメージするのは施設における常駐警備や保安警備、工事現場などでの交通・雑踏警備、貴重品などを運搬する際の警備・警戒、さらには対象者身辺の警備・警戒といった総合的な警備でしょう。

これらの「警備」という業務を行う警備業というのは「警備業法に基づく制限の範囲内で行う業務」と定義されています。警備業は「施設警備(1号業務)」「交通・雑踏警備(2号業務)」「貴重品等運搬警備(3号業務)」「身辺警備(4号業務)」と、大きく四つに分けられています。

セコムの事業の中心はこの「警備」という業務です。

しかし、近年、警備を行う対象は拡大の一途を辿り、「警備」という考え方も変わってきています。ネットワークへの不正アクセスに対する監視や管理といったセキュリティ対策事業も「警備」の一つになっているといえるでしょう。

そうした観点からセコムはネットワーク不正アクセスなどに対する監視をハード、ソフトの両側面から行うセキュリティ事業にも取り組み、警備業という概念の変革を進めています。堅牢なセキュリティシステムで構築したネットワークを基盤に、安心で便利で快適なサービスシステムをトータルに提供する「社会システム産業」の構築に取り組んでいます。

現在、セコムは事業拡大を進めており、「セキュリティ事業」「防災事業」「メディカル事業」「保険事業」「地理空間情報サービス事業」「BPO・ICT事業」「国際事業」「不動産事業」という8事業を社会システム産業として、手がけています。

セコムの歴史を紐解く

1962年7月、日本で最初に現在の総合的な警備業務、つまり巡回警備や身辺警備のような業務を行うために警備会社が設立されました。その会社が日本警備保障株式会社、つまりセコム株式会社です。セコムは日本における警備業の始まりであり、セコムが日本初の警備会社なのです。

セコムが設立された1962年、当時は警備という概念が全くなかった時代でした。1964年、日本警備保障が東京オリンピックの選手村の警備担当に抜擢されたことによって、警備業が人々に認知されるようになりました。

日本警備保障は早くからオンライン安全システムの開発に取り組み、

1966年には今日のオンラインセキュリティサービスの出発点となった、日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」のサービスを開始しました。契約先に防犯・防火センサーを取り付け、通信回線を通じて24時間遠隔監視して、異常発生を検知すると緊急対処員が駆け付けるというシステムであり、日本で初めて警備に最先端のテクノロジーを導入しました。この取り組みがセコムという社名につながっています。

日本警備保証は1973年、そのままでセコム(SECOM)ブランドを立ち上げました。セコムとは「人と科学の協力による新しいセキュリティの構築」という新しいコンセプトによって生み出された造語で、セキュリティ・コミュニケーション(Security Communication)という言葉を略したものです。

オンライン・セキュリティ・システムの普及で構築したネットワーク基盤を活用し、日本警備保障は革新的なセキュリティサービスを次々に生み出していきます。

1975年にはオンライン・セキュリティ・システムにコンピューターの導入によって、世界初のコンピューター・セキュリティ・システムを実現し、1981年には日本初のホーム・セキュリティ・システムを発売することで、家庭市場に進出。セキュリティという考え方が一般にも浸透していきました。

1983年、すでに警備会社という範疇を越えた事業展開を行っていたセコムは「日本警備保障」という社名から、「社会システム産業」の構築を事業とする企業名にするという意思をもって、「セコム」に社名変更しました。

飯田亮氏と戸田壽一氏、2人の創業者

日本で最初に設立された総合警備会社、セコムを1962年に創業したのは飯田亮氏と戸田壽一氏の二人です。

学習院大学卒業後、家業である東京・日本橋の酒問屋・岡永商店で営業を担当していた飯田亮氏は5人兄弟の5男。独立・起業を考えていたといいます。飯田亮氏が独立・起業の夢を語り合っていたのが、学生時代からの友人であった戸田壽一氏でした。

飯田亮氏と戸田壽一氏は欧州から戻った共通の友人に、欧米におけるセキュリティ会社や警備についての概念を聞く機会があったそうです。当時の日本には欧米の警備業やセキュリティ会社に当たる会社はなく、飯田亮氏と戸田壽一氏はこの全く新しい事業に可能性を感じ、警備会社、つまりセコムの創業を決めました。

飯田亮氏と戸田壽一氏の2人は1961年、東京千代田区九段南のビル、千代田会館に設立準備事務所を開設。1962年7月7日、東京港区芝公園にあるSKFビルに日本警備保障を設立しました。後のセコムです。

これまでに警備業の歴史をみるとそこで登場するのは飯田亮氏です。しかしセコム創業の歴史をみると、日本の警備業、日本初の警備会社を作ったのは飯田亮氏と戸田壽一氏の2人だったということがわかります。

セコム創業者の1人、戸田壽一氏とは?

セコムの創業者の一人、飯田亮氏についてはこれまでに多くのインタビューや取材が行われていますし、書物もでています。しかし、もう一人の創業者である戸田壽一氏に関するインタビューや取材記録は少なく、その人物像は明確になっていません。

これには一つの理由があります。セコム創業時、戸田壽一氏は飯田亮氏に対してナンバー2に徹することを約束し、生涯、飯田氏を支えていたからです。セコムの沿革が語られるときに戸田壽一氏の名前があまり出てこないのはこれが理由です。

ではこのもう一人の創業者、戸田壽一氏はどんな人だったのでしょうか。戸田壽一氏は1933年に生まれ2014年1月30日に81歳で亡くなられています。

「セコム その経営の真髄」という本を書かれたジャーナリストの長田貴仁氏は顔を表に見せなかった戸田壽一氏のインタビューに成功しています。その際の印象などをウエブメディアのビジネスジャーナルに掲載された記事で明らかにしています。

“「同じセコムグループだったら、誰か一人わかる人がいて、説明できるようにしておかなくてはいかんということで、飯田代表にトップを務めてもらうことになりました。総力を結集するという意味なんです」”

戸田壽一氏のインタビューではこうした発言があったそうです。インタビューを行った長田貴仁氏は戸田壽一氏の人物像を次のように、浮き彫りにしています。

“実は戸田氏は、飯田氏の学習院大学の1年先輩に当たる。飯田氏がアメリカンフットボール、戸田氏は野球部に所属していた、お互いスポーツマンである。上下関係にうるさいのかと思いきや、先輩面はまったくしない。それは飯田氏との関係においても徹底している。”

“戸田氏は飯田氏に名歌舞伎役者を演じさせた黒子であると見た。戸田氏の表情には、セコムという組織の中で自ら規律を課し、飯田氏とともに働いた喜びが映し出されていた。”

https://biz-journal.jp/2014/04/post_4577.html

ビジネスジャーナル

セコム、「もう一人の」創業者・生前インタビューから透ける、「共同起業」成功の秘密

まとめ

オリンピックや国際会議、展示会や博覧会の安全に運営できたことでセコムをはじめとした警備会社が果たした役割は大きいといえるでしょう。そうした中、東京2020オリンピック・パラリンピックを無事に、安全に開催するため、警備業界最大手でトップを走るセコムの活躍には期待が寄せられています。

そのセコムという会社を作り、日本で初めて警備業というビジネスを立ち上げた飯田亮氏と戸田壽一氏。今回はこれまでなかなかスポットが当たらなかったセコムもう一人の創業者、戸田壽一氏について、まとめてみました。

会社概要

社名 セコム株式会社
所在地 東京都渋谷区神宮前1-5-1
コーポレートサイト https://www.secom.co.jp/

 

社名 総合警備保障株式会社(ALSOK)
所在地 東京都港区元赤坂1-6-6
コーポレートサイト https://www.alsok.co.jp/

 

社名 セントラル警備保障株式会社(CSP)
所在地 新宿区西新宿2-4-1 新宿NSビル
コーポレートサイト https://www.we-are-csp.co.jp/